蓋井島へ

海上自衛隊下関基地隊と水産大学校 下関市旅客船の蓋井島航路で蓋井島に向け吉見港を出発する。左側に海上自衛隊下関基地隊、右側に我が水産大学校が見える。なお、この一帯は、かつて下関要塞地区を守備していた防備隊の基地が存在していた。
網代ヶ鼻 海上自衛隊下関基地を過ぎると進路右手に網代ヶ鼻が見える。大昔に地震の影響でもあったのか、かつての地層が斜めになって海へと没している。
石灰石採石場 吉見の裏手にある石灰採石場。海からでは良く見える。
蓋井島出現 吉見を出て10分ほどたった頃。島影ははっきり見える。付近には航行船舶が多い。
セメント運搬船 セメント運搬船とニアミス。こちらは49t、向こうはその何十倍もあり、衝突したら勝ち目はあるまい。
水島 蓋井島と吉見を結ぶ航路の右手に、小さな浅瀬が見える。水島と呼ばれ、たまに釣り客が訪れる。
蓋井島近接 蓋井島近影。周囲がわずか10.4km、人口は150人にも満たないが、標高は200mを越えているところも何箇所かあり、さながら山の頂上が海上に飛び出している感じ。
乞月山 蓋井島に接近し、蓋井港に入港する直前、乞月山。この頂上付近や山腹にもかつては砲台陣地が存在した。大山付近の砲台陣地跡よりもそこまでに向かう道が荒廃しているとのことであり、単独訪問は危険である。
旧軍桟橋 乞月山脇を通り、蓋井港に停泊するために向きを変えた辺りで右に見える短い堤防は、かつて蓋井島に駐留する要塞兵への物資搬入に使用されたという、旧軍関連の桟橋である。この堤防の周囲にはアマモが繁茂しており、かつてム先生の研究室の方(ハイスクール氏ではない)が研究に来た事があるという。ここで、わしと部長が釣りをしたこともあったが、オハグロベラばかりつれた。
ナンバープレートの無い自動車 蓋井島到着。島には自動車を所有する方もいるが、ナンバープレートをつけていない場合が多い(車検切れも)。車種も、軽バンや軽トラが圧倒的である。また、島内には信号機が全く存在しない。なお、蓋井島への自動車搬入は、蓋井丸によって行われ、後甲板に備え付けられた油圧クレーンによって港での搬入シーンが見られることもある。
日露戦役記念忠霊塔 島内にある日露戦役記念忠霊塔皇紀2565年(明治38年)5月27日、対馬沖にて行われた日本海海戦の戦死者の遺体が本島まで流れ着いたという。
蓋井神社 島内にある蓋井神社(蓋井八幡)の階段は非常に急である。当神社の祀神は、蓋井島の名前の由来とされる伝説にちなんだ神功皇后應神天皇である。なお、蓋井島には蓋井神社の他、金比羅山頂の祠や浄土宗の寺が存在する。
蓋井島の稲作 蓋井島でも稲作が行われている。銘柄や収穫量等は不明。おそらく自給自足用の生産と思われる。
蓋井灯台 集落の西外れ側よりやまどりの散策道という未舗装道路が伸びている。海岸付近の丘陵を越えるために意外にアップダウンがある。10分ほど歩くと蓋井灯台に到着する。この灯台は、日本初の風力発電を導入した灯台として知られる。現在は無人化されている。
金比羅山への道 やまどりの散策道は、蓋井灯台の手前で島の北側に向かう支道が分かれている。途中には、金比羅山山頂に存在する祠への登山道が別れる。登山道入り口に鳥居が存在している。
紺碧の響灘 散策道を北上すると時折左手に響灘が見える。
さらに北に進むと電波塔が見える。この150mほど先に、大山砲台陣地への道が左に分岐する。

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