改造クハ455

 交直両用急行形電車のローカル転用に合わせ、他形式や中間車などから先頭車に改造されるものが出てきた。

(改版履歴…皇紀2670年9月12日 写真480*360化・記述更新
       …皇紀2670年10月23日 記述更新)

改造車

交直流急行形電車には形式間改造が頻繁に行われている。国鉄時代中期には余剰となったビュフェ車サハシ455や一部の451・453系を455系200番代に改造した事もあったが、国鉄末期には多数の改造車が生じている。
 昭和60年3月14日改正までに、451・453・455・471・473・475・457系の交直両用急行形電車による急行電車は全廃となった。しかし、当時においては勾配用抑速ブレーキ搭載型(455・475・457系)などは車齢が比較的若く、一方で地方の電化線区では旧型客車による普通列車が未だに残存していたので、余剰となったこれらの急行形電車を活用し、普通客車列車を置き換えることとなった。しかし、元々長大編成に対応していた急行用車両をローカル列車に対応させるには車内設備もさることながら、最小編成単位である3両編成にしなければならなかったので、オリジナルのクハ車だけでは不足するため、一部の余剰急行形車両を改造してクハ455に編入する工事が行われた。国鉄末期にクハ455に編入された車両の車種は300番台がクハ165及びクハ169-900、400番台がクモハ165及びクモハ169-900(電動機などは撤去)、500番台がサハ165(中間車のため運転台もとりつけた)、600番台が急行用グリーン車のサロ455及びサロ165(運転台取り付けやドアの増設が行われた)となっている。
 それ以外にもクロハ455やクヤ455など特殊用途の先頭車に改造されたものもある。

東日本旅客鉄道 所属車輛

 改造クハ455は仙台地区配置の車輛が最も多く、サハシ455およびクハ451改造の200番代が3両、クハ165およびクハ169 900番代改造の300番代が20両、クモハ169 900番代改造の400番代が2両、サハ165改造の500番代が4両、サロ165改造の600番代が2両であった。これとは別にクハ455を快速「ばんだい」指定席・グリーン車として使用すべくクロハ455に1両が転用改造を受けている。さらに、改造クハ455から訓練車クヤ455に再改造された例もあった。
 JR化後は、オリジナルのクハ455と同様に前照燈角型改造が行われたものもあった。
 仙台地区の455・457系は皇紀2667年度までに全車運転を終了し、鉄道博物館に保存されたクモハ455 1およびモハ455 2・クハ455 4を除き全車廃車された。

今は亡きクハ455 316 455系S-45編成クハ455-316(元クハ165-181) 皇紀2665年12月29日 黒磯

 画像はクハ165 181を改造したクハ455 316。仙台の455系S-16編成に組み込まれている。改造にあたっては、検電アンテナ設置や乗降台へのステップ設置等が行われたが、通常のクハ455と外観的にはほとんど同じである。301〜320までがクハ165、321〜324がクハ169 900番代(元クハ165 900番代)を改造した。交直両用急行形電車が見られる仙台、北陸、鹿児島で見られた(北陸、鹿児島では1両のみで大半が仙台に残存)。元となった直流急行形電車がJRから引退した皇紀2663年以降も生き続けた貴重な存在であった。残念ながら皇紀2667年12月に廃車された。
 なお、東北地域本社色の455・457系は、皇紀2660年頃より、前照燈の角形化の有無を問わず、全車前面種別幕のLED化がなされており、訓練車編成と磐越西線専用編成以外、全車に施行されていた。
今は亡きクハ455 305 クハ455 305 皇紀2667年1月4日 福島

 クハ165 146を改造したクハ455 305。なお、クハ455 301〜306はクハ165の非冷房車(後に冷房改造)、307〜320は冷房準備車(非冷房で落成したものの後は冷房を取り付けるという段階のもの)が種車となっており、両者は床下機器やベンチレーター位置などが微妙に異なっている。
 なお、仙台の300番代や600番代では、アンチクライマーが装備されていないものがあり、本車も装備されていなかった(国鉄時代に前面強化工事がされていた為)。このため、シールドビームであり種別幕もLED化されているものの、オリジナルの先頭車前面に近かった。残念ながら皇紀2668年2月に廃車されてしまった。
今は亡きクハ455 324 クハ455 324(S-41編成) 皇紀2666年12月30日 仙台

 クハ455 324は元々が信越急行増発のためにEF63との協調運転試験用に試作された165系900番代を試験終了後に量産仕様に改造した169系900番代のクハ169 904をクハ455に再改造した。169系900番代は169系0番代が長野配置だったのに対し、終始新前橋に3両×4編成のみの配置であった。この為、国鉄末期の急行列車削減に際し整理対象となり、クハはそのまま、クモハは主電動機などを撤去してクハ455に、モハも主電動機を撤去してサハ165 100番代に改造された。
 このうち、クハ169 900番代を改造したクハ455 321〜324の中で、現存するのはS41編成のクハ455 324のみである。更新工事により前面に往年の面影は無い。冷房は車種由来のAU12Sである。元169系900番代車はクモハ169 900改造の一部のクハ455 400番代も現存している。
 ちなみに、仙山線で活躍していた頃、S-19編成には「パッチワーク色」という独特のデザインがなされていた事もある。わし、偶然その際に乗っているのだが、当時の写真が見つからん(あったとしても餓鬼の撮ったもんだがね)。
 なお、皇紀2667年2月頃、更新車で最初に運用を離脱した。そして、同年4月廃車された。
今は亡きクロハ455-1。455系究極の存在だった
455系S-40(クロハ455-1) 皇紀2665年12月29日 郡山

 全国の交直流急行形電車で唯一の存在である半室グリーン車クロハ455は、かつては快速「ばんだい」の指定席・グリーン車ように1両だけ改造された車輛。快速「ばんだい」のグリーン車・指定席廃止後は、クロハ455-1もグリーン車料金なしで旧指定席部分の特急形廃車発生品の簡易リクライニングシートや旧(?)グリーン席部分のリクライニングシートに座ることが出来たため、乗り得列車であった。
 指定席解除後は、クロハ455-1ではグリーン車マークが消されており、末期は磐越西線系統で活躍していた。ただし、快速ばんだい指定席廃止から皇紀2665年までは仙山線(皇紀2661年まで)など仙台地区で活躍していた。
 なお、磐越西線色車の455系は全車が一体化ヘッドライトであり、また、東北地域本社色車と違って前面種別幕はLED化されていないが、本S-40編成だけかつて仙台地区で活躍していたためLED化工事が施工されていた。なお、磐越西線色車には会津地方の伝統玩具“あかべこ”のステッカーが前面貫通扉などに貼られているものもあるが、本編成では見られない。なお、本編成のみ編成の向きが逆である。ちなみに、登場時は東北地域本社色であったが、識別のために側面翠帯が2つになっていた。
 貴重かつ素晴らしい車両であったが、皇紀2667年3月限りで運用を離脱したが、一時期再度運用についたりもした。しかし、皇紀2668年9月に廃車された

クハ455 609 皇紀2666年12月30日 仙台

 クハ455 609は165系の急行用グリーン車サロ165 124を改造した車輌である。急行用グリーン車の車体を利用し、415系500番代に準じた運転台を取り付け、車内も近郊仕様に改めたクハ455 600番代は、サロ455とサロ165が種車となったが、皇紀2666年時点で、サロ165を改造した600番代で唯一営業についていたのが本車であった。種車となったサロ165は全て窓がユニットサッシ化された車輌であり、一段降下式のままであるサロ455編入組との外観的差異は顕著である。
 クハ455 609編成はS-34編成に組み込まれて最後の活躍を続けていたが、皇紀2667年3月改正で運用離脱。同年9月末で廃車された。

西日本旅客鉄道 所属車輛

 改造クハ455は北陸地区には余り多くなく、クハ165改造の300番代が1両とサハ455から改造され413系とユニットを組む700番代が2両のみである。
 JR化後も長い間、北陸地区の471・475・457系は横ばいで推移してきたが、北陸新幹線開業が近づく中で、北陸本線直流電化区間増加や新鋭521系の登場に合わせ徐々に減りつつあり、皇紀2670年3月に全JRで最後の165系改造クハ455(そして最後の元165系)であったクハ455 302を含むA14編成が廃車がされた。

クハ455 302(A14編成) 皇紀2670年1月10日 快速ホリデーライナーかなざわ 富山

 クハ455 302は165系クハ165 140から転用改造された車輛で、北陸地区では直流急行形から転用された唯一のクハ455であった。
 外観上は他のクハ455とほぼ同一であったが、東北や九州の165系改造クハ455が全てシールドビーム(東北の一部は角型)だったのに対し、本車は原型白熱燈であった。残念ながら皇紀2670年3月に廃車された。本車の廃止により、サハやサロを含め40両余りいた直流急行形電車からの編入車両は全て壊滅した。
 画像は快速「ホリデーライナーかなざわ」で活躍していたA14編成で、ヘッドマークをつけているのがクハ455 302。この約2カ月後に廃車回送された。
クハ455 702(413系100番代B11編成) 皇紀2669年5月4日 金沢

 サハ455は元々、皇紀2631年(昭和46年)に8両のみ製造された少数形式だが、その中で2両が運転台とりつけ改造がなされ、クハ455 700番代となった。面白い事に、相方となる電動車ユニットは475・457系列ではなく、471・473系から改造された413系である。

 画像のクハ455 702は、元々1ユニットしか製造されなかった473系を改造した413系100番代(クモハ413 101+モハ416 101)B11編成に組み込まれている。車歴からしてなかなか興味深いといえよう。

 唯一の473系改造車かつ貴重なサハ455改造車となる413系100番代ははたしていつまで残ってくれるものか。

九州旅客鉄道 所属車輛

 九州地区の改造クハ455はクハ165およびクハ169 900番代改造の300番代が3両、クモハ165およびクモハ169 900番代改造の400番代が3両、サハ165改造の500番代が1両、サロ455およびサロ165改造の600番代が8両であった。
 数の上では急行用グリーン車の格下げ改造車が多かったが、169系900番代の成れの果てが見られたりもした。
 なお、皇紀2655年(平成7年)に廃車されたクハ455 601は運転台が717系900番代のクモハ716 901に流用されている。
 残存車は皇紀2667年(平成19年)3月改正で全定期運用を失った。その後は留置状態が続き、皇紀2670年2月に457系Jk-15編成のクハ455 403および475系Gk-36編成のクハ455 605が廃車回送され、これにより九州から改造クハ455が消滅した。そして同年、皇紀2625年(昭和40年)以来、九州に存在してきた急行形電車475・457系が全滅した。

南九州で果てた元碓氷峠のJk!さようならクハ455 403 457系Jk-15(クハ455-403) 皇紀2666年1月15日 臼杵

 Jk-15編成もJk-9とともに皇紀2665年10月改正で鹿児島に転属した457系。そもそも九州の457系の新製配置先は鹿児島だが、後に全車が大分に転属した。しかし、Jo-2とJo-15は皇紀2656年頃(平成8年)に鹿児島に転属(Jo-2→Jk-2、Jo-15→Jk-15)し、その際、シールドビーム化された。しかし、Jk-15は皇紀2659年頃に再度大分に転属(Jk-15→Jo-15)している。そして、また鹿児島に転属(Jo-15→Jk-15)。大分と鹿児島を行ったり来たりしているJk-15(今はね)のクモハとモハである。
 しかし、Jk-15のクハ車はさらに只者ではない。写真のクハ455-403はかつて碓氷峠区間でEF63と協調運転試験に使用された165系900番台を量産改造した169系900番台の生き残り、クモハ169-902(製造当初はクモハ165-902)を交直流急行形電車のローカル列車転用の際に足りなくなる先頭車の穴埋めとして電装解除の上クハ455に改造したものである。九州の片隅で、かつてEF63との協調運転試験に使われ、また、信州や上州への行楽客を運んでいた車両が活躍していたのである。169系量産車がJR線上から先に全滅してしまったのに、その試作車とも呼ぶべき165系900番台が生き残っていた事自体が奇蹟であった。ちなみに、元165系900番台車は仙台にも皇紀2667年まで2両残っていた。
 なお、Jk-15のクモハ457-15がタイフォンカバーがついているのに、クハ455-403にはタイフォンカバーがなくスリット式タイフォンが剥き出しになっている(鹿児島の475・457系の大半はタイフォンカバー装着)。また、クハ455-402の冷房は169系900番台時代に取り付けられたAU12S×6であり、編成内の純正457系のクモハ457-15がAU13E×5であるのとも異なっている(モハ456-15は新製当初からの集中式のAU72)。尚、クモハからの改造車であるので運転室直上に箱型通風器が改造当初は残っていたが、現在では撤去されている。
 なお、Jk-15はJo-15時代は大分方先頭車がクモハで鹿児島方先頭車がクハであったが、鹿児島に転属してから編成ごと方向転換し、現在では大分方がクハ455-403、鹿児島方がクモハ457-15である。Jk-9も同様に方向転換している。
 汚い動画館にてJo-15時代の汚い動画を公開中。
 なお、九州475/457系は皇紀2667年3月改正で全車運用離脱。その後、鹿児島駅構内に留置され、時折動くこともあったが、457系Jk-15編成は、475系Gk-30編成とともに皇紀2670年3月に小倉工場へ廃車回送された。両編成の廃車により、九州地区の急行形電車は全車廃車された。
サハ165トップナンバーから転進し南九州で散ったクハ455 501 475系Gk-27編成クハ455-501(元サハ165-1) 皇紀2666年1月15日 大分

 クハ455 500番代はサハ165に当時のクハ411 500番代に準じた運転台を取り付け、交直両用急行形電車に編入した形式。
 写真はサハ165-1に運転台を取り付けて編入したクハ455-501で、JR九州の475系Gk-27編成に組み込まれていた。クハ455 500番台は501を除き全車が仙台の455系編成に組み込まれている。仙台車は種車のサハ165から譲り受けたAU13E型冷房を1個撤去して5個であったが、当初から九州での使用を考慮し、またデッキ無しで落成した本車は、冷房が6個であった。
 晩年Gk-27編成はGk-33編成とともに大分地区に貸し出され、同区の457系とともに活躍したが、同区の457系にすら余剰車が発生する中で使用機会はなくなり、1年以上にわたり大分駅構内でGk-33とともに留置され続けた。しかし、大分駅構内に同じく留置され続けたJo-8などの457系編成が全て小倉工場に廃車回送された後、Gk-27もこの写真を撮影した2週間ほど後に廃車回送されてしまったという。現在はGk-33も廃車回送され、皇紀2665年春季合宿で見たような、大分駅構内にひしめいていた急行形電車の姿は無い。どうせなら前位側からの写真を撮ればよかったと悔やまれる。
 なお、仙台には3両が残存したが、いずれも一体型ヘッドライトに改造され、オリジナルの先頭車形状のクハ455 500番代は本車の廃車により消滅した。その後、仙台地区のクハ455 500番代も全車廃車された。
最後まで急行形グリーン車を見せてくれたクハ455 604 475系Gk-31クハ455-604(元サロ455-44) 皇紀2666年3月8日 宗太郎

 クハ455 600番台は急行形グリーン車に運転台を取り付け、普通車に格下げした車両。601〜605がサロ455、606〜611がサロ165のユニット窓改造車から改造された。通常のクハ455と外観上の違いは、側窓が急行用グリーン車の形態を色濃く残しており(サロ455改とサロ165改でも側窓形状が異なる)、また後位側のドアがグリーン車時代と同じ70cm(前位側の100cm扉は改造によって取り付けられた)、新製された運転台が当時の415系に準じたものでありタイフォンの高さなどが異なる(これは500番台などにも共通)などの差異が存在する。
 画像は、サロ455-44を改造したクハ455-604。604は末期の600番台残存車の中で、シート固定化されているとはいえ、唯一グリーン車時代のリクライニングシートが使用されていた。皇紀2666年現在、サロ455改が鹿児島に3両、サロ165改が仙台に1両残っていた。しかし、皇紀2667年3月改正で運用離脱し、皇紀2668年12月に廃車された。
 それにしても、もう少しマシな写真を撮りたかった…
 汚い動画館にて汚い動画を公開。

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