457系交直両用急行形電車

 455系と475系を併せ持った、即ち直流・交流50Hz・交流60Hzの三電化区間を走る事が出来る急行形電車の集大成が457系である。交直両用急行形電車が活躍した東北・北陸・九州の全ての地域で見る事が出来た。電動車がわずか19ユニット38両製造されたのみである。

457系(JR九州所属車)

 JR九州に在籍する交直流急行形電車は475系457系である。475系は直流、交流60Hzに対応し、北陸と九州で見られる交直流急行形電車。455系と475系の集大成ともいえるのが457系である。九州の急行形電車は東北や北陸よりも電車急行より撤退するのが早く、長年に渡り九州内のみでのローカル運用についているため、現在では完全に直流避雷器等が撤去され、交直切替レバーも固定されているため事実上交流電車である。
 九州の急行形電車は全車が鹿児島総合車両所に在籍する。かつては大分鉄道事業部にも在籍し、主に大分に457系、鹿児島に475系と棲み分けのような形であったが、皇紀2665年10月改正にて一部の457系が鹿児島に移動、残った457系は全て廃車され、475・457系とも全車が鹿児島総合車両所に集結。JR発足当初は475系が約100両、457系が3両編成×11編成存在したが、九州新幹線開業前後から大量に廃車が進行し、営業末期は現在では両グループあわせて稼動車はわずか33両と四分の一にまで勢力は減少してしまった。そして、皇紀2667年3月改正でJR九州の475・457系は全て運用を離脱し、時折臨時運用に出る事もあったが、皇紀2670年まで全廃されてしまった。
 九州では東北の455系と異なり、冬季にそれ程冷え込まず、むしろ夏季にデッキ内の高温化が懸念された為に、デッキ扉を全て撤去しており、ベンチレーター(通風器)も腐食の恐れがあるとして、一部のクモハに残された箱状のものを除き、全て撤去している(キハ40系統や415系でも同様)。客室内も仙台や北陸と同様に車端部をロングシート化し、クモハとモハの便所・洗面所を閉鎖しているが、一部の編成では、クモハとモハのトイレ・便所を完全に撤去した。
 末期は、鹿児島本線川内〜鹿児島、日豊本線大分〜鹿児島、日南線(宮崎空港線)南宮崎〜宮崎空港で活躍していた。特に、日豊本線佐伯〜延岡の普通列車に使用される車両は全て急行形電車であった。しかし、前述の通り、皇紀2667年3月18日改正にて九州から全ての急行形電車が運用を離脱し、皇紀2670年までに全車が廃車された。
457系Jo-6クハ455-15 皇紀2665年3月12日 延岡

 457系Jo-6編成の最大の特徴は、編成中のクハ455-15(写真の車両)がかつて北陸本線で活躍していた時代の名残で、正面の種別幕の上にツララ切りが設置されていた事であろう。この編成は皇紀2665年(平成17年)10月1日より保留車となり、そして、皇紀2666年4月に小倉工場へ回送されるまで、最後までJo(=大分配置の457系)を名乗っていた。現在は解体されたのか?
 なお、扶桑座とティンマニが宗太郎駅に訪問した際、宗太郎から延岡に向かう際に乗車したのが本編成である。ティンマニはモハ456-6の床に落ちていた10円玉を拾って猫糞した。情けない。
 Jo-6は保留車になった後、クハ455-15が自動車衝突訓練に供出され、スカートを欠損したが、その後再び付けられたという。わざわざ直したのに小倉工場に廃車回送したのか。皇紀2666年度中に廃車された。詳しくはここ
457系Jo-8 皇紀2665年12月14日 西小倉 

 かつては、上野〜東北、関西〜北陸、関西〜九州、及び九州内の電車急行として活躍した交直流急行形電車だが、昭和60年3月14日改正以降は急行運用はなくなり、ローカル輸送に貢献しているが、近年は老朽化により姿を消しつつある。

 写真の457系Jo-8編成も、運用減少と老朽化により廃車の運命を迎えた。偶然、Jo-8がED76に牽引されて廃車回送されてきたのを撮影してしまった。翌年になって解体されてしまったようである。
 なお、皇紀2665年1月15日に別府旅行に行った際、当時はまだ存在していた、中山香運用に充当されていた457系と日出で行き違いした際、ハイスクール氏は「急行形はやっぱカッコよかったよねー。」と発言している。この時見た編成は定かではない。デカライトだったからJo-15(当時)じゃないな。
457系Jk-9(旧Jo-9)クモハ457-9 皇紀2666年3月8日 日向長井

 457系Jk-9編成は、JR九州の国鉄急行・近郊形電車では最後となった原型の大型白熱灯(原型ライトや大型ライト、デカ目などの通称で呼ばれる事が多いかね)を装備している。この編成は皇紀2665年10月改正から本カコに転属し、編成名がJo-9からJk-9に改められた。末期の大分の457系は鹿児島に転属していた事があったJo-15編成を除き、全編成に大型白熱灯が残っていた。一方、鹿児島の475・457系は順次原型白熱灯をシールドビームに取り替えており、皇紀2660年頃までに原型白熱灯は消滅していた。Jo-9編成が転属した事により、鹿児島では久々の原型白熱灯が復活となった。
 Jk-9編成は車体各所に疲労の色が見え隠れする。写真に写るクモハ457-9にはヘッドマーク受けが見えない。
 当編成も3月18日改正で運用を離脱したが、夏季のお盆花火輸送で一時復活している。しかし、皇紀2669年3月17日に小倉工場に廃車回送された。
457系Jk-9(旧Jo-9)クハ455-70 皇紀2666年3月8日 延岡

 同じ編成内でもクハ455-70にはヘッドマーク受けが残っている。急行時代のものではなく、JR初期頃に使用されたマイタウン列車用のものと思われる。
 クハ455 70は457系向けに製造された新製冷房車の生き残りであり、新製冷房車クハの原型ライト車は、北陸のクハ455 65と本車しか残っていなかった。しかし、皇紀2669年3月17日に小倉工場に回送された。
457系(JR東日本所属車)

JR東日本に所属する457系は九州車と異なりまとまった両数があったわけではなく4編成12連しか存在しなかった。従って、455系と全くの共通運用である。電動車はトップナンバーと11〜13であったが、トップナンバーは皇紀2662年2月に廃車、特別保全工事の11と13は皇紀2667年3月18日改正で運用落ちし、唯一の更新車であった12からなるS-72編成のみが細々と残っていたが皇紀2668年3月にさよなら運転が行われた。





457系S-72編成 いずれの写真も皇紀2667年7月27日撮影

 三電化区間対応の457系はわずか19ユニットしか作られなかったが、仙台、金沢、九州の交直流急行形電車の配置地域に分散していった。この中で東北地域にはトップナンバーと11〜13が割り当てられた。トップナンバー(S-70編成)は皇紀2662年2月に廃車されたが11〜13はその後も運用を続けた。しかし、特別保全工事のみの11(S-71編成)と13(S-73編成)は皇紀2667年3月改正にて運用を離脱。更新工事実施車のS-72編成はJR東日本で活躍する最後の457系となった。
 JR東日本の457系はS-70番代を名乗る。わずか4編成8両(モハユニット、クハ455を含めれば12両)の小所帯であるが、どれも編成内のクハ455が直流急行形電車等からの改造車であるのが特徴的で、S-72編成は169系900番代のクモハ169 904の成れの果てであるクハ455 405
 皇紀2667年7月現在、JR東日本最後の457系S-72編成は原ノ町〜岩沼〜仙台〜利府で455系と共通運用で最後の活躍をしていたが、同年11月より455・717系と共に運用離脱した。翌3月に仙台地区455系さよなら運転に供され、同年12月に電動車ユニット、クハが別々に郡山総合車両センターに廃車回送されている。


 画像の説明↓
@原ノ町 後方は455系S-20編成。今から乗ります。

A仙台  後方は455系S-20編成。仙台に着いた。455系を楽しむのが目的なのでもう一回原ノ町まで乗る。

B原ノ町 後方は455系S-20編成。仙台までさらに一回乗ります。

Cモハ456 12車内。車端部はロングシートにされ、壁や床も張り替えられているが、デッキ構造は残る。他の455系更新車と同様の構造。

Dモハ454 12のボックスシート。従来の455系ボックスシートとは異なる設計のもので、シートは柔らかいものとなった。窓側に肘置もあるが従来のものより小さく、栓抜付テーブルは近郊形のものと同じ小さく栓抜無しのものに変えられている。仙台455・457系は、クモハが赤モハが蒼クハが翠のシートである。このモハの蒼いシートは一見すると国鉄時代のものに見えるが実際は異なる。

E蒼いシートに座りながらの中を進む455・457系のギアレシオ4.21のMT54を嗜むはこの扶桑座にとってこの上なき時間。

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