115系直流用近郊形電車

 115系は昭和38年に登場して以来20年近くにわたり1000両以上が製造された新性能近郊形電車で、前年に登場した初の新性能直流近郊形電車111系をベースに東北本線・高崎線・上越線などでの走行を考慮して、主電動機のMT54化、勾配用抑速ブレーキ及び自動ノッチ戻し付制御機器の搭載、車体の耐寒構造化が付加されている。同年に登場した急行形電車165系と機器類の多くを共用している。111・113系ととの違いを明確化するため、車体前面の塗りわけが異なっている。現在は地方色化進んでいるので一概には言えず、また廃車も進行している。

 一部車両は、私鉄にも譲渡された(しなの鉄道115系)

(改版履歴…皇紀2670年12月18日 記述修正
      …皇紀2672年4月4日 所属会社別にカテゴライズ・豊田M40編成追加)

東日本旅客鉄道所属車輛

115系Y427 皇紀2665年8月15日 宇都宮

 画像は小山区のY427編成。U字カットの湘南色を纏った115系が発祥の地東北本線を離れて久しいが、Y427編成は撤退以降も小山に残存している。発祥の地である東北本線では、0番台の他、昭和48年以降製造型である改良型の300番台や昭和52年以降製造型の耐寒耐雪構造強化型の1000番台などがあり、晩年は300番台、1000番台が活躍していた。Y427は300番台より構成されている。
 往年の宇都宮駅で見られた11連、せめて7両固定編成のが見たいが、この昔からずっと見なれてきた塗装であり、見るたびにほっとする。113系のV字よりは115系のU字の方がいいですねぇ、わしは。
 Y427編成は訓練車として、また臨時列車にも登板する機会があったが、皇紀2667年に運用を離脱し、北長野に廃車回送された。
115系豊田M40編成 皇紀2672年1月9日 南越谷 ホリデー快速鎌倉

 豊田電車区に所属されている115系は、国鉄時代より中央東線のローカル輸送用電車の伝統塗装である横須賀色をまとっている。かつては、新宿〜松本・長野の広汎で運用についていたが、新宿方面からの115系運用撤退や小淵沢以北運用の長野区115系へ移管に伴い、現在の定期運用は、中央本線立川〜小淵沢と富士急行大月〜河口湖のみとなっている。
 普通列車用の3両固定編成が12編成(M1〜12編成)の他に、波動輸送に活躍する6両固定編成が1編成おり、それがこのM40編成である。他に貴重な0番代と低屋根800番代で組成された訓練車編成もある。
 この編成は、皇紀2660年(平成12年)に豊田区が受け持っていた中央本線小淵沢以北の運用を松本区に移管するに当たり、豊田から松本に転属した0番代・300番代で組成された6両固定編成14編成84両の中の1編成で、B5編成を名乗った。程なくして東北本線へのE231系投入に伴い、比較的車令が若い小山区の300番代後期形や1000番代が6連に組成されて松本区にやってくると、初期型中心だったB編成はことごとく廃車されてしまう。しかし、B5編成だけは、三鷹区の169系老朽置き換えに伴う波動用車両の車両需給関係において、解体されず元の豊田区に戻ってきて、M40編成を名乗り、今も活躍を続けているのだ。
 この編成は、松本から長野に転出したC編成のようなクハ+モハ+モハ+モハ+モハ+クハではなく、クモハ+モハ+サハ+モハ+モハ+クハで組成された6両固定編成であり、サハ115 300番代最後の残存車でもある。他に、横須賀色唯一のモハ115や霜取り2個パンタ(シングルアームと菱形の併用)等、特異な車歴を持つ車両によって組成された編成と言える。
 画像は、武蔵野線南越谷始発の鎌倉行臨時快速ホリデー快速鎌倉。通常は通らない武蔵野貨物線を通る数少ない列車で、以前は大宮始発だったが、近年は南越谷始発になっている。欲を言えば、運転日がもっと増えないものか。
115系N26編成(右) 皇紀2667年12月28日 直江津

 長野総合車両センターに所属し長野地区で活躍する115系は、灰色を貴重とした新長野色に塗られている。大別すると、3両編成のN1〜14・16・21〜33編成、2両編成のN50〜58編成、6両編成のC1〜15編成に分けられ、このほか、湘南色に白帯が入った訓練車N15編成も在籍する。
 6連のC編成は小山区にE231系近郊型投入によって余剰となった車齢が比較的若い300・1000番代を転入したもので、中央本線立川〜甲府〜松本と篠ノ井線・信越本線篠ノ井〜長野で活躍する。また、2連のN50番台は篠ノ井線系統や信濃大町以南の大糸線にも入る。3連のうち、N1〜14・16編成は長野区生え抜き車で、東海旅客鉄道の中央本線中津川〜松本や飯田線飯田以北に入線可能なATS-SNを設置している他、しなの鉄道の方向幕も備えており、同鉄道でも見られる。一方で、N-21以降は元松本区の車両で、JR東海区間やしなの鉄道には入線する事ができない。それ以外はN1〜14・16編成と同じく中央本線甲府〜松本、大糸線南小谷以南、篠ノ井線、信越本線篠ノ井〜長野〜直江津〜柿崎で活躍する。
 画像は元松本車両センターR7編成のN26編成(クモハ115 1007・モハ114 1012・クハ115 1007)。直江津駅ではJR西日本の475・457系と顔合わせる事もある。

西日本旅客鉄道所属車輛

115系セキT01 皇紀2665年8月1日 岩国

 モハ114・115の若番車に廃車発生品の運転台を取り付けたクモハ114・115‐550番台の2両で編成を組むセキの115系セキT01編成。先頭車化改造で原型ライトになったのはこれぐらい。M車だけなので加速は非常によいが、便所がないのが痛い。下関〜小月くらいならよいが、他の区間じゃ乗りたくない。車内はシートや化粧板などは変えられているが、天井部などで若番車のおもかげ=老朽化が見え隠れする。
 しかし、最近T-01編成とT-03編成に残っていた原型の大型白熱灯を不細工な簡易シールドビームに変えたところを見ると、改造してでもしばらくは使う気なのだろう。そのうち、新製から50年(現在40年以上)経ってもいきているかもしれん…

 と、思われたが、皇紀2668年に福知山地区へ223系2000番代投入に伴う、1000番代改造の2両編成115系6000・6500番代が下関に玉突き転属した。これにより、T01編成は廃車されてしまった。
115系セキT01 皇紀2666年6月4日 山陽本線幡生機関区脇

 下関車両管理室(広セキ)に所属する115系550番台(クモハユニット)のT編成は改造時に廃車発生品の原型ライト付運転台を取り付けたものがあり、115系先頭車改造車の中でも異彩を放っている。皇紀2666年になって、下関車両管理室所属の原型ライトの113・115系先頭車が順次シールドビーム化されている。しかし、原型ライト枠を残してシールドビーム化しているので、通常のシールドビーム編成と比べても、はっきり言って変だ。俗にセキシービームとかチクビームと呼ばれたりもするこの簡易シールドビーム。前者の由来は、下関車両管理室に所属する115系C編成の原型ライト車から改造が始まったためで、下関車両管理室の略号『広セキ』とC編成からセキシーとなっているらしいよ。後者の由来は見た目がってことなのかえ?
 画像は問題のセキT01編成が簡易シールドビームになった後の姿。一説によるとセキ車の原型ライト車に簡易シールドビーム改造をした際に、幡生工場で解体された113系や105系などのシールドビームを使っているとか。ホントかよ?なお、T-03編成にも原型ライトから簡易シールドビームへの改造が行われており、セキT編成から原型ライトは全滅している。
 なお、下関の115系550番代T編成は、6000番代・6500番代の下関地区投入に伴い、皇紀2670年(平成22年)までに全て廃車になっている。
クハ115 556 皇紀2666年7月26日 広島

 クハ115 550番代は、モハ115 0番代(552のみモハ114 0番代)から主電動機等を撤去し運転台を取り付けた車両である。全車が奇数向きの制御車である。国鉄末期に新潟地区と広島地区に投入された。
 画像はラストナンバーであるクハ115 556で、元はモハ115 91。下関車両管理室C18編成に組み込まれている。なお、広島地区で国鉄末期に投入された改造クハ115は冷房化の際、当時余剰となっていたAU13型クーラー(かつての急行形153系のものと言われている)を取り付けた車両も多く、本車もAU13で冷房化されているが、初期にAU13で冷房化した車両は4個使用としたため冷房力不足の面があり、本車は6個使用となっている。このためベンチレーターも斜め型となっているので、屋根上だけを見れば急行形電車のようである。なお、広島地区に投入された他のクハ115 550番代は全車廃車されており、当車が広島地区最後のクハ115 550番代である(新潟地区に行けばまだ見られるが、冷房はAU13Eではない)。
クハ115-604 皇紀2666年5月15日 下関

 クハ115 600番代は601〜606及び620〜622がクハ111 300番代を、607〜619がサハ115に運転台を取り付けた上で、クハ115に編入改造した系列である。601〜606及び620〜622は車種の関係上偶数向き、607〜619は奇数向きとなっている。
 画像は、115系セキC-43編成下関方に組み込まれているクハ115 604(元クハ111 380)。屋根上のベンチレーターが115系オリジナル車では存在しないグローブ形であることが元クハ111であることの証である。
 なお、セキC-43編成はかつて福知山線で活躍していた時代の塗装が現存する唯一の編成であり、また、クハ111 604は貴重な原型の大型白熱灯を装備していたが、皇紀2667年にクハ111 604はチクビーム化され、塗装も瀬戸内色に変更された。
 さらにその後、同編成はクハ115 604を除き、体質改善工事が実施された。クハ115 604はとりあえず色だけ更新色になっている。
クハ115 622 皇紀2666年5月14日 下関

 クハ115 600番代のうち620〜622は、非冷房車である601〜607の置換え用に登場している。現在では115系G02編成のクハ115 622のみが存在している。本車は編成中唯一の更新工事実施車でもあり、外観的のもベンチレーターが見られないなどの差異を持つ。クハ111−5456から改造された。

 なお、JR西日本では、皇紀2670年より一般用車両の塗装を順次単色化(所謂末期色)しており、G02編成はまさに末期色にされてしまった。
115系セキH01編成 皇紀2666年7月26日 


下関車両管理室に1編成のみ存在するH-01編成は、両端がクハ111、中間電動車が115系という変わった構成である。両端のクハ111はいずれもクハ111 800番代で、クハ111 0番代及び300番代に耐寒耐雪構造を施したもので、元々は山陰本線城崎電化時に京都北部方面で使用するためのものだった。一部は七尾線電化開業時に415系800番代への改造種車となったが、残った車両は近年113系3800番代に改造されたものを除き次第に引退していった。その中にあって、H01編成クハ車に流れ着いたものが、現在運用に就いている唯一の113系800番代である。一方、中間電動車はいずれも115系1000番代を110km/h化した115系6000番代である。
 なお、両先頭車とも皇紀2666年に原型の大型前照灯からセキシーチクビームへと改造されている。その後、尾燈はクリアレンズ化された模様。
115系セキN-02 皇紀2662年11月16日 下関

 115系3000番台は、国鉄が威信をかけて広島地区に投じた、通常の115系とは一線を画す転換クロスシート・2扉式の番台。最近全く新車がこないのとは雲泥の差に思えるぐらい、国鉄時代は優遇されていた(?)のか広島地区は?この画像はハイスクール氏が撮影した模様。
 この広島快速色車は現在塗色変更が進行中であり、このセキN-02編成も現在では更新工事と塗装変更がなされている。
モハ114-3513(115系セキN-17) 皇紀2665年11月23日 下関

 115系3500番台117系の中間モハユニットであるモハ117・モハ116を115系中間車用に改造した形式で、中間電動車のみ存在する。下関区の115系N編成で3000番台車と混結されている他、岡山区でも使用されている(岡山では湘南色)。
 画像はN-17編成に組み込まれているモハ114-3513。クハ車はいずれも3000番台車である。通常、115系電動車はモハ115がパンタグラフ無し、モハ114がパンタグラフありだが、3500番台では種車の関係上、モハ115にパンタグラフがあり、モハ114にパンタグラフは無い。車内は一部ロングシート化されているが、117系譲りの転換クロスシートは健在である。

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