皇紀2666年3月7〜8日 宗太郎奇襲(そのU)

 皇紀2666年(平成18年)3月7〜8日、鉄道・バス同好会副部長扶桑座は、日豊本線に存在する極めて乗降客数の少ない宗太郎駅で駅寝を体験した。その際の体験談を以下に記す。なお、この内容は、忠鉄聯BLOGに掲載した内容を加筆修正したものである。

U.魑魅魍魎の鉄道魚田区イン大分〜扶桑座もその一人〜

 はぅ〜扶桑座です。先ほどの続きからはじめましょうか。
 豊前長洲駅からは幸崎行の4643Mに乗車いたします。本日の4643Mに使用されていたのは
815系No-21編成(クハ815-21+クモハ815-21)でして、始発から一駅から離れていないため、難なく座れました。
 わしはJR九州さん御自慢の近郊型電車81Xシリーズでこの815系が一番イヤですね。デザインはわしが国鉄型至上主義に少なからず浸かっているので813系とか815系などと比べてもあきらめがついてますし、走行性能はそりゃ国鉄型よりいいに決まってますから、その辺りでの問題はないのですが、問題なのは車内設備が813系や817系が転換クロスシートなのに対してオールロングシートである点、そして運用上でもラッシュ時であろうがなかろうが2両で走っている点です。わしは、列車は座って移動するのがなんぼのもんだと思っておりますから―――例外、都心で走っているラッシュ時に椅子がない車両などは古き良き家畜貨車の生き残りだと思っておりますから大いに歓迎します―――着席機会の少ないロングシート車が、よりによってラッシュ時に増結なしの短編成で走っているのを見ると殺意を覚えます。東北の701系と九州の815系は、扶桑座の言うところ悪の二大巨頭です。東武5000系列の2両固定車(今いるんでしょうか)や小湊鉄道の気動車なんかはボロさによって全然憎悪を感じないんですがねぇ。新車のくせに、短い両数で申し訳ない程度に椅子がついているその中途半端さがイヤです。どうせなら電動家畜貨車カ815系2両固定編成(クカ815+クモカ815)として全部座席を取り払って運転すれば、多分わしは大いに受けるでしょう。ほとんど座席が取り払われた和田岬支線の車両や戦中戦後の時期に活躍したモハ63系の再来と銘打ってもわしは喜びますね。扶桑座以外の乗客が怒りを覚え、上尾事件の二の舞になるかもしれませんが。もっとも、シート自体の座り心地はロングシートにしては結構いいですね。構造上、103系のように簡易寝台として利用することは難しいですけど。だから、わざと編成を少なくして変な客が来ないようにしているのか知りませんが。と、座っておきながら偉そうに815系の批判ばかりを展開しました。座らせてもらっているので、批判はこの辺でやめにしておきましょう。はぅ〜。

 宇佐を過ぎ、最初にとまる駅が
西屋敷です。宇佐から杵築にかけては峠越えの区間で、幾つものトンネルが続き、線路の付け替えられた箇所もあります。その中で、普通列車の峠越えはあまり多くなく、日豊本線北部区間で最も停車する列車が少ないのが、西屋敷と次の立石です。宗太郎越えと比べたら身も蓋もないですが。この西屋敷に差し掛かる手前左に枯れ木の目立つ山が見えましたが、ほんの少し無気味です。西屋敷自体も駅勢人口が多いとは言えない田圃の中の駅で、乗降客は誰もおりませんでした。

 西屋敷から先ではいよいよ峠越えの区間でトンネルを結構潜り抜けますが、そのたびに側面の大きな窓が歪む様子が見れます。815系や、同じく大きな窓を取り入れている817系が、将来、現在己らが老朽形式として追い出している国鉄型のように老朽形式と言われるようになった際「トンネル走行中に窓ガラスが割れて乗客に怪我人が発生」などとならないよう祈るばかりです。中山香を過ぎ、杵築を過ぎた辺りでもう座席は埋まってしまい、今後大分に向かうにつれ、立客が増加するでしょう。しかし、座っているわしは、さっきあんなに偉そうに批判をしておきながら、睡魔に襲われてしまいまして、気がついたらもう別府を過ぎておりました。昼下がりであるにもかかわらず、乗客密度は結構高かったですね。うとうとしているうちに、大分駅に到着、寝ぼけ眼でホームへと降り立ちました。ふと奥の留置線に目をやりましたが、1月15日の時点で残っていた475系Gk-27とGk-33の姿はやはり見えませんでした。


 大分では1時間近く時間があるので、大分名物の老舗デパート
“トキハ”に向かいます。1月に大分に来てから気に入ってしまいました。大催事場では『理由あり大安売り』だかなんだかをやっておりましたが、何もめぼしいものはありませんでしたので、地下の食品館に向かいます。大分の名物“とり天”に心動かされましたが、わしはこういう旅では高くて不味いの代名詞である駅弁を主食にしますのでやめます。水大にきているので、とりあえず鮮魚売り場を徘徊してから、地酒の純米吟醸を購入していきました。今思えば、先に重いものを購入した自分が間抜けだったと感じております。

 大分駅に戻り、今晩の主食となる駅弁を買います。じゃこめしにしようかとも思いましたが、少々奮発し
1300円の豊後サバ寿司を買いました。部長なら「1300円くらいの豊後サバ寿司」と阿呆なことを書くでしょうが、1300円きっかりです。まだ少し時間がありましたが、列車でも観察しようと思いまして、はやめにホームに向かいました。

 今から乗る列車は宗太郎駅にとまる3往復のうちの1本
2751M南延岡行で、国鉄型至上主義者には垂涎の急行型電車で運転されております。ホームには到着前ですが、すでに同業の方々が魑魅魍魎の如く闊歩しておりました。同好の士を魑魅魍魎と称するなど失礼ではないかと思われるかも知れませんが、自分もその一員であると考えておりますので、許されるはずです。しかし、貴重な急行型電車使用列車とはいえ、同業者の数は結構いました。鹿児島の急行型電車の中で、国鉄型ファンから特に人気を集めているのは、ミレニアム企画で国鉄急行色に戻された475系Gk-5編成か唯一原型の大型前照灯のままである457系Jk-9編成ですから、今日はそのどちらかが来るのかも知れません。楽しみですね。

 ふと反対側のホームには
姉ちゃんの写真を貼り付けた不届きな車両が停車しております。九州のキハ183系です。キハ183系は本来北海道の特急用に使用される車両で、国鉄末期からJR初期にマイナーチェンジしつつ製造されておりました。JR北海道と対極に位置するJR九州にもキハ183系があるのは、走行性能は同じというだけで概観や使用目的は異なります。

 九州のキハ183系ほど“美容整形”を繰り返す車両も珍しいですね。九州のキハ183系は観光客を意識したつくりで先頭車が展望構造となっているのが最大の売りです。皇紀2648年(昭和63年)に『オランダ村特急』として登場しますが、オランダ村(まあ、言わずと知れたハウステンボスです)へのアクセスに大村線の一部電化で対応することになって485系(今は違います)特急『ハウステンボス』が乗り入れるようになり、この『オランダ村特急』は首になります。しかし、その前に登場した『ゆふいんの森』(さっき小倉工場で見ました)が好評で増発が必要であったため、客室の一部を改造し塗装も変更して“整形”し、『ゆふいんの森U』としてデビューします。そのまましばらくいましたが、確か皇紀2659年(平成11年)でしたか、新ゆふいんの森を増備するのでリストラされることになり、今度は古巣の大村線方面の特急『シーボルト』で使用されることとなり、ほぼ『オランダ村特急』時代の色に“整形”しなおしましたが、なんと『シーボルト』が其の後数年で廃止されてしまいます。そして、九州新幹線が開業する皇紀2664年(平成16年)のダイヤ改正にあわせ赤(なんでも古代漆色とかいうそうです)を基調とした塗装に“整形”され『ゆふDX』として再び営業を開始しました。大村線と久大本線に縁があるようです。

 で、姉ちゃんの写真というのは、今の犬HKの連続テレビ小説『てるてる家族』…ではなく、『風邪の…』失礼、『風のハルカ』役のヒロイン氏が車体側面にラッピングされているのです。部長はこのお姉ちゃんが好みだそうです。そのくせ、テツバの部長のくせに『ゆふDX』のラッピングの存在を知らないんです。やる事なすことが何でも中途半端なんです。だから、角○で何もかも失ってしまうんです。なんのこっちゃい!残念ながらわしがカメラを構える前に行ってしまったので写真は撮れませんでした。くれぐれもここで「扶桑座の写真なんか見なくてもええわ」などと言わないようにしましょうね。

 わしは『ゆふDX』よりもキハ58・28を改造したジョイフルトレイン
『ふれあいぱる』が何故か大分にいたのが驚きでした。この車両は山口鉄道部の所属で、まさか九州島内でみるとは思いもよりません。なんでお前がという感じです。あとで、某ウヤ情報誌を見てみますと、3月6日〜9日まで別府入湯団という団体列車の運転があったようです。遠すぎて写真は撮れませんでした。

 奥の側線では富士用の14系客車がDE10形ディーゼル機関車により入れ換えが行われておりました。あと1時間強で発車します。他にも、キハ125やキハ31、キハ200など下関では見られない車両が盛んに出発到着を繰り返しております。遠隔の駅で見知らぬ車両が行き来するさまを見るのはやはり楽しいですね、わしには。

 さて、お待ちかね2751Mに使用される急行形電車が日豊本線延岡方面からやってくるのが見えてきました。どうも午前の運用で大分入りした急行形は、昼間は牧駅の隣にある電車区でお昼寝をしているようであります。同業の士達は一斉に撮影シークエンスに入ります。現れたのは、唯一の原型ライト、
Jk-9編成(←大分方クハ455-70+モハ456-9+クモハ457-9)でした。こりゃ良かった。

 わしはさっさと乗り込んでボックスを一つ確保します。例によってモーターの唸りが聞こえるよう、クモハ457-9の車端に一番近いボックスにしました。外では、人目で鉄道魚田区と分かる方々がひっきりなしに写真を撮っております。ちょっと車内を見てみますと国鉄タイプではない青系シートで、網棚はロングシート部が金網、ボックス部はパイプ棚になっております。屋根上ベンチレーター(簡単に言うと換気装置です)は全て撤去されておりますが、車内側は塞がれておりません。車内のスピーカーは円形で、中央部が縦に出っ張っております。ボックス部には栓抜き付テーブルが残っております。窓は上窓が固定され、下窓のみ開きます。やはり、デッキ扉は撤去されておりました。クモハの車内観察は以上です。他は分かりません。

 とりあえず、同一ホーム撮りという小学生でもできる写真撮影を敢行します。結局この先もこればかりになってしまいます。車外の観察ですが、Jk-9は鹿児島に転属したので本来『本カコ』表記のはずですが、大分時代の『分オイ』でしたね。まあ、その写真を貼っときますよ。それとクモハにはヘッドマーク受けが無く、クハにはありました。なんででしょ。まあ、観察はこの辺で、非鉄の方はもうこんがらがってるでしょうし、わしよりも忠鉄心に厚い方には中途半端な報告になってしまっていることでしょうから、やめます。
 Jk-9には通学生の方や買い物帰りのご婦人方、先ほどの鉄道魚田区の方が少々、そしてクモハには車掌さんがたくさん群れております。15時48分、大分駅出発です。次の停車駅は牧です。

 読むのも書くのも根気がいります。続きはこの後です。


457系JK-9クモハ457-9に残る『分オイ』の略号表記

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