皇紀2666年3月7〜8日 宗太郎奇襲(そのT)

 皇紀2666年(平成18年)3月7〜8日、鉄道・バス同好会副部長扶桑座は、日豊本線に存在する極めて乗降客数の少ない宗太郎駅で駅寝を体験した。その際の体験談を以下に記す。なお、この内容は、忠鉄聯BLOGに掲載した内容を加筆修正したものである。

T.テツバは豊前長洲駅を心の底から愛しています。

 では本論に入りましょうか。わしは端的にまとめるというのが好きではありませんので、その分詳しく数回に分けてお話致しましょう。

 皇紀2666年3月7日にわしは吉見10時06分発の865Dで出発しまして、乗車したのは
キハ47 3009でした。相方は知りません。幡生工場の横を通過した際、まだ何両かオハネ15(旧彗星用の宮原車12両が2月下旬から解体されていた)が解体の時を待っておりました。下関には10時30分前に到着しまして、とりあえず順調です。

 下関駅前にある下関郵便局で冒険資金を下ろしに行くのですが、以前ここの自動預け払い機に預金通帳を入れた際に破けた事がありまして、あんまりここでは下ろしたくありませんが、資金を事前に用意していなかったことがたたってしまいました。

 
九右衛門に燃やされてしまった下関駅舎が無くなって約2ヶ月経ち、今日は火災後しばらくは残っていた下関地域鉄道部の建物の解体の際に出たガラクタが片付けられつつありました。わしは11時発の宇佐行き5339Mに乗るべく、昼飯用の助六寿司を買ってホームに向かいます。11時丁度発なのに10時56分になってようやく入線してまいりました。4分で折り返すんですか。今日の5339Mに充当されていたのは415系Fm-1編成(クハ411-322+モハ414-11+モハ415-11+クハ411-321)で、九州の415系最若番車ですが、車内がオールロングシートに改造されております。わしはモハ車で主電動機の唸る音を聞くのが好きですのでモハ414-11の宇佐方車端部のシートに座ります。
 4分かどうかは忘れましたが、すぐに発車しました。発車してすぐ右手に見える下関車両管理室に変な車両がいないか確認してみますと、岡山色の103系(旧H01編成、のちに幡生で解体)がいましたね。確か、追い出し会の時に彦島のジョンイルに向かった時に脇を通ったのでちらっとみましたが、なんで下関にいるんでしょうか。考えている間に関門トンネルに入ります。

 門司、小倉をすぎ、西小倉へと進むと以前Jo-8(前年の12月中旬に偶然457系Jo-8の廃車回送を目撃した)が入線していた3番線に今日は485系“RED EXPRESS”がいました。良く分かりませんが、7両編成だった気がします。九州の485系で7両編成なのは大分のDo-21編成(このときはね!)だけなので多分それでしょう。まだ、使う予定があるでしょうから解体ではなく、検査か何かで入場、或いはそれがすんで出場したところかも知れますまい。

 その小倉工場を車窓越しに見てみますと、“ゆふいんの森T”や883系の更新車(ブルーソニックってやつですね。最近ではこっちの方が多くなりました)などがおりました。Jo-8などここに運び込まれた急行型は死角にいたのか、もう鉄屑になってしまったのか分かりませんが、見えません。列車は進み、北九州市を過ぎて日豊本線を南下していきますが、何回か通っているので特段目新しい発見はありません。去年、事実上廃線となった苅田港支線はまだ錆付いたレールが残っていたのが見えましたけれども。行橋を下り、航空自衛隊築城基地を車窓に眺め、
我が水大のケケ下先生がヨシノボリの調査を行った城下川を乗り越えて行きます。

 宇島の手前に
豊前松江という駅がありまして、干潟のそばにボロい駅舎が残る雰囲気のよい場所です。こういうボロイ駅は綺麗になっていく流れでして、地域住民の方には大好評、扶桑座には大迷惑な事であります。まあ、ここでは扶桑座よりも地域住民の民意を大切にすべきですから、いずれ綺麗な駅舎となる前にその姿を眼に焼き付けておくものにします。宇島に向かう途中で日豊本線とコンクリート護岸のわずかな用地に石積みの橋台がありましたが、昔の鉄橋跡でしょうかね。

 宇島に着く手前に海側に発電所だか工場だかがありまして、海上送電線が延びております。以前、ティンマニ君が「台風の時に高潮であの鉄塔が浸ったらどうなるちゃ?」などと稚拙な疑問を呈しておりましたのも、今では笑える昔話です。中津市街に入りますと高架線に入りますが、高架線に入る手前に川を渡るのですが、ここでも古い橋台が残っておりまして、このような幹線では古い鉄橋の廃止に伴うミニ廃線跡が頻繁に生じていることが伺えます。

 中津の到着案内は自動放送なのですが、音割れしたおばさんの声で聴いていて抱腹絶倒です。同じ声のおばさんは、去年の3月改正頃に下関駅でも導入されていまして、ハイスクール氏が苦言を呈しておりましたが、今では使われていないようです。このあと、末尾に津がつく駅が連続します。高架をおり、左から貨物線の跡が寄ってくると東中津です。ここも古い駅舎です。今津、天津と過ぎ、豊前善光寺に着きますが、1月に通った時点では残存していたボロ駅舎が建替えられつつありました。だから利用者には大好評、扶桑座には以下もそもそです。

 柳ヶ浦に到着します。宇佐市では宇佐と柳ヶ浦に市の中心的な位置が分散しているようです。次に接続する幸崎行4643Mはここから出発しますが、このまま5339Mに乗車し続けます。宇佐で乗り換えるのでもありません。柳ヶ浦と宇佐に挟まれた
豊前長洲駅で乗り換えます。豊前長洲で降りたのはわしとおばさんの二人だけでした。

 この豊前長洲は去年一月の別府旅行の際、扶桑座と先代部長さとみの兄氏が宇佐で、ハイスクール氏とティーダが豊前長洲で、ティンマニと現部長(当時は副部長でしたかね)が柳ヶ浦で乗り換えするという、お間抜けなことをして以来、
テツバが大分方面に繰り出す際は必ずここで乗り換えることになっています。テツバは豊前長洲駅を深く愛しています。例によってボロ過ぎる駅舎に味わいがあるという以外に、この駅がテツバに深く愛されている理由は、駅舎以上にボロイ便所の存在です。あまり良い話ではありませんが、この便所は別格です。概観からも異様なボロさを醸し出しておりますが、なんとこの便所には便器というものが存在しません!!男子用小便所、及び大便所ともに!!小便所から話しますと、床や壁はただ岩をくりぬいただけで、平らにならされてなどおりませんから、汚物がくぼみに残…これ以上はわしにはかけません…大便所は、ティーダは見たようですがわしは怖くて見たことはありません…しかし、宗太郎駅ですらたとえ汲み取り式とはいえちゃんと便器はありますのに、この駅はただ岩をくりぬいただけです。こんな、不潔極まりないボロ便所のような旧態依然としたアイテムを持つ豊前長洲の怪しさに我がテツバは魅了されてしまいます。

 さて、昼食時ともなりましたので、便所のことを考えないように助六寿司を食べることにしました。次の列車は十数分でくるので、ややはやめに食べることにします。すると、なにやら工事関係者が現れ、便所のあたりで何かしています。ドリルを使っています。折りしも、ティンマニがメールを送ってきましたので、そのことを報告すると、あまりにも汚い内容の返事が来たので、飯時に扶桑座に汚いメールを送った罪で、彼には氏刑になってもらうことにしましょう。まあ、こんな場所で昼食をとるわしも尋常ではないでしょうがね!

 さて、豊前長洲からの先の話は次に致しましょう。駅の前に出る時間がありませんでしたから、下にホームから見た豊前長洲駅の様子をはっておきましょう。


ホームから見た豊前長洲駅駅舎 2666-0307

そのUに進む
に戻る

inserted by FC2 system