専売公社宇都宮工場専用線跡

 日光線鶴田駅からかつて宇都宮市睦町に存在していた専売公社宇都宮工場まで専用線が延びていた。
 同工場は旧大日本帝國陸軍第十四師団野砲第二十聯隊駐屯地跡に、昭和27年に設立された。専用線は同時期に設置されたものと思われる。その後、同工場からの出荷物輸送や原材料搬入等に活躍を続けたが、昭和52年に同工場が宇都宮市清原地区に移転。専用線は同時に使用されなくなったと思われる。専用線跡はその後全線が「なかよし通り」という自転車・遊歩道になった。
 同廃線跡は、扶桑座の実家から最接近点が直線500mもない極めてなじみ深い廃線跡、というより遊歩道だな。親族に聞けば専用線現役時代の話もちらほらでてくる。子供会で線路の雑草取りをしたとか、朝に工場方面に15時くらいに鶴田駅行きの貨物列車が時速20km/hもしないであろうのんびりとした速度でやってきたとか、機関車はDE10より小さかった(叔父談)とか、小学時代に悪ガキ仲間と線路に置石してもゆっくり進む列車はびくともせずに運転士から「何やっとるか!」と怒鳴られた(叔父談・・・)とか、そんな話。

 なお、同専用線は昭和7年に廃止された宇都宮石材軌道鶴田線(末期は東武鉄道大谷軌道線)の廃線跡を一部区間で流用している。調査は皇紀2668年8月1日

←起点の鶴田駅付近。かつて貨物側線があったあたり(今でも駅本屋側に側線は残っているが)は、近年まで草地と化していたが住宅用地に分譲が行われ、新興住宅が立ち並ぶようになった。
全線が「なかよし通り」という名の舗装された自転車・遊歩道と化している。鶴田駅から「なかよし通り」の途中までは、宇都宮石材軌道鶴田線の廃線跡を転用して建設された区間であり、二度の鉄道廃止を経験した区間である→
←何故なかよしなのか?まあ、気にしない。
まだ宇都宮石材軌道鶴田線跡転用区間。同路線は610mmのナローゲージの人車軌道であったが、当該する鶴田駅〜西原町の鶴田線は複線であったためそれまでの急曲線はなく、ゆるいカーブがそこかしこにある→
←火伏稲荷神社。宇都宮石材軌道(開業当初は宇都宮軌道運輸)が開業にあたって、火難・盗難避けに勧請したとされる。同軌道が東武鉄道に合併された昭和6年以降は地元によって管理され、平成9年に旧宇都宮石材軌道線上に移されてきたという。案内看板の説明による。
沿線唯一の遺構、国道121号線をわたるところに残る踏切防護柵→
←踏切防護柵跡すぐ北側の廃線跡は単にアスファルトを敷いただけの状態で、やや往年の雰囲気を感じさせる。
この地点で「なかよし通り」はカーブしているが、宇都宮石材軌道鶴田線はこのまま直進していた。この先の家屋が廃線跡にピタリ一致するかのごとく、狭く細長い形状をしているのが面白い。→
←宇都宮は日露戦役の直後にあたる明治40年(皇紀2567年)より大日本帝國陸軍第14師団の駐屯が始まった。以下、歩兵第59聯隊、歩兵第66聯隊、野砲第20聯隊、輜重兵第14聯隊などの各部隊が駐屯していたのである。これら旧大日本帝國陸軍第十四師団敷地は、大東亜戦争屈辱の敗戦後、某文星学園、某須賀学園、某船田学園など悪名高い私立学校や専売公社工場などに転用された。このうち旧野砲第20聯隊の位置に当たる専売公社は、現在は移転したため、その跡地を再度転用した栃木県立中央公園となっている。
終点の元専売公社工場における線路跡は、駐輪場となって残る→


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